いよいよ、最終節である。シンプルにJ2残留を掴みたい。それが唯一無二の願いだ。
これからもJ2で戦い続けたい、その思いとともに、ノブさんの笑顔が見たいという個人的な思いがある。ノブさんとは、もちろん、小島伸幸GKコーチの事だ。
J2復帰を果たし、ザスパの初代監督にして、レジェンドである奥野僚右監督を迎え新たなスタートを切ったあの日の新体制発表会で、小島さんは、「奥ちゃん(奥野僚右前監督)を男にしたい。」と、GKコーチを引き受けた思いを口にしていた。
2002年、草津温泉に誕生したザスパは、群馬県リーグからのスタートだった。そのザスパの始まりに、奥野さん、小島さんは中心的な役割、存在として尽力し、若い選手たち、草津町の皆さん、まだ多くないザスパのサポーターの皆さんとともにこのチームを作り上げてきた。奥野さんは、翌2003年までの在籍だったがJリーグを目指した当時のザスパ草津の進むべき道筋をつけ、小島さんは、思いを受け継ぎ、ケガを抱えながらも、ザスパのJリーグ昇格まで奮闘、J2、1年目の2005年をもって現役を引退した。
2020年。そんなふたりが、またザスパで、そして、今度は監督とGKコーチという立場でコンビを組んだ。ザスパというクラブの大きさを考えれば、環境面、条件面で引き受けるのは難しかったと思う。それでも引き受けてくれたのは奥野さんがいたからだと思う。それは、小島さんに限らず、ヘッドコーチで加わった久藤清一現監督もそうだし、他のスタッフの多くもそうだろう。だが、まだ形のない所から、ともにザスパというクラブを作り上げてきた小島さんの思いは、より強いものだったと思う。
小島さんは、その見た目通り、明るく、楽しく、豪快な人で、周りのみんなを笑顔にしてくれる人だ。それとともに、とてもまじめで、責任感にあふれる人でもある。
奥野体制1年目の始動直後、練習が終わると、決まって小島さんの姿が見えなくなった。選手取材などを終え、1時間ほど。そろそろ帰ろうかと施設を出ると、汗をいっぱいにかいた小島さんの姿があった。走ってきたのだと言う。GKコーチとして、選手たちにしっかりとしたボールを蹴りたいので、自身も、体作りから始め、選手たちに向き合おうとしているのだ。ほどなくして、就任会見時の姿とは変わり、現役時代を思わせるようなスラリとした体つきになり、選手たちにボールを蹴りだす小島さんがいた。
新型コロナが感染拡大すると、話を聞くことも、お会いすることも激減してしまった。そうこうするうちに、2シーズン目の夏、奥野さんが成績不振の責任を取り、辞任することとなった。小島さんに、直接、お話を聞くことはできなかったが、奥野さんのためにとGKコーチを引き受けただけに、ショックも大きかったと推察する。人づてには、自身もGKコーチの職について悩んだという話も漏れ聞こえてきている。だが、奥野さんや周囲の人の説得、アドバイスもあり、GKコーチの職を引き続き、担ってくれているという。
そんな小島さんであれば、奥野スタイルがベースとなっているこのチームをJ2に残留させることで、「奥ちゃんを男にする。」と言った、あの日の思いを形にしてくれると信じている。
先日、久々に練習場で小島さんの姿を近くで見る機会に恵まれた。練習を見つめる視線は鋭く、選手たちの動きを細かく追い、状況を見極めている。現役時代と変わらないものだった。練習後に、ネット越しでご挨拶させていただいた時の対応は、いつもと同じく、やさしさに満ち溢れていた、そして、若い選手に声をかけ、練習用具を片付ける姿は、ザスパが歩みだしたあの時と同じようにも感じた。
Jリーグを目指して戦っていたあの時とは違うかもしれないが、J2残留を目指し、みんなの思いを受け止めて戦う日曜日の最終節も、また大きな、大きなプレッシャーのかかる瞬間であることは間違いないだろう。選手ではなく、GKコーチという立場ではあるが、全てを注ぎ込んで、私たちに勝利と残留を届けてくれるだろう。そして、いつの日か、笑顔いっぱいのノブさんに、この2年間の話をたっぷりと伺いたい。