SASAnote 自らの価値を、ザスパの価値を示すための新たな戦いへ-ザスパ群馬・城和隼颯キャプテン、J2山形へ完全移籍

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仲間との別れの挨拶に訪れた敷島サッカー・ラグビー場。

去り行く彼に、仲間は握手を求め、笑顔で手を振り送り出した。駆けつけたサポーターは、ザスパの選手としての彼との限られた時間を惜しみながら過ごしていた。

チームはどん底の最下位、彼は、チームの中心であり、何よりキャプテンだ。その選手が、しかも、同じJ2の、この後、対戦も残っているライバルチームに移籍することを「受け入れろ」という話が、土台無理な話だ。

それでもサカラグには、3年半、ザスパのために尽くし、応援してくれる皆のために全力を出し、戦ってくれた城和隼颯の決断を後押ししよう、気持ちよく送り出そうという人々で溢れていた。それこそが、城和隼颯がザスパで過ごした時間の全てであり、評価なのだと思う。

ザスパは、8月13日火曜、正午に城和隼颯がJ2山形に完全移籍するというリリースを出した。合わせて、赤堀洋代表取締役社長名で「ファン・サポーターの皆さまへ」と題するメッセージを出し、今回の移籍に関する経緯、そして、残り12試合へ向けた思いなどを伝えている。

城和隼颯 選手 モンテディオ山形へ完全移籍のお知らせ(ザスパ群馬公式)

ファン・サポーターの皆さまへ(ザスパ群馬公式)

今回のオファーについては、前節、清水戦の翌日、11日日曜にあったとの事だ。急転直下の報せに、まさに生き馬の目を抜かれたような衝撃だが、関係者によれば、城和に対する調査やオファーは、これまでにも水面下で何度かあったという。だが、城和は都度、断りを入れ、ザスパのために戦う選択をしてきてくれたという。しかしながら、今回は、移籍という重い決断をした。

前述の通り、チーム状況、キャプテンの彼の立場を考えれば、今回の移籍を「無責任」と批判する声が出てもやむを得ないだろう。それでも、彼は、リリースで、「この状況、立場での移籍でたくさんの意見があることは理解しています。それでも全てを受け入れて前に進み続ける覚悟を持ってこの決断に至りました。」と語っている様に、並々ならぬ思いで、今回の移籍を決断している。

彼は以前から、ザスパ愛とともに、上昇志向を口にしていた。

「いつかは、札幌に行った岡村大八さんの様に、自分も上で戦いたい」プロ2年目の彼はそんな事を言っていたことを思い出す。

これまでもザスパからステップアップしていった選手は数多くいる。そのほとんどの選手がJ1への移籍だ。サポーターの多くが、「J1ならば」と、思いを抑え込み、涙をこらえて選手を送り出してきたという人ばかりだろう。だが、今回は、同カテゴリー、同じJ2山形だ。これがステップアップなのかという議論もあるだろう。意見は色々あるだろうが、山形はJ1経験クラブだ、先ごろ公開された2023年度の経営資料でも、売上高がJ2最下位のザスパ(7.9億円)に対し、山形はJ2平均を上回る25億円と3倍以上だ。カテゴリーこそ違えど、規模は及ばない。プライドで負けるつもりは毛頭ないが、示される数字で同じカテゴリーと言えども圧倒的な差をつけられていることは否めない。

また、昨今は、J1クラブでも若手選手の海外移籍が活発になっている。そうなれば、J2、J3へと、選手獲得の手は伸び、ザスパで活躍している選手たちもJ1をはじめとする上位クラブ、規模の大きなクラブの格好のターゲットになる事は避けられない。実際に、全てが今回の城和の様に正式なオファーになっているわけではないが、レギュラークラスを中心に調査対象になっている選手がいるのも実情だ。

とは言え、返す返すも、彼はキャプテンとして今シーズンを戦っていた。せめて、シーズン後まで待つことはできなかったのか。もちろんその判断もあったろう、そして、彼もこれまで責任から、そうしたタイミングを意識していただろう。だが、オファーが常に来るかどうか。それは誰にも分らないのだ。この夏にオファーが来たから、オフシーズンにオファーが来るか。そんな保証はどこにもない。サッカー選手の選手生命は長くない。大卒選手となればなおさらだ。ならば、彼が自らの努力でつかんだチャンスを誰が止める事ができるというのだろうか。

そんなことは分かっている。分かっているから辛いのだ。悲しいのだ。引き留められない現実が悔しいのだ。

それぐらい城和隼颯は、多くのサポーターに愛された、そして、彼もまた、応援してくれるみんなを第一に考え、接してくれたし、ザスパの選手を代表するにふさわしいたゆまぬ努力で、チームのために、仲間のために、応援してくれる人のために戦ってくれた選手なのだ。

大学時代、決してスター選手と言えるような華々しい経歴の選手ではなかった。だが、努力の末に、大学4年生の夏のリーグ戦でレギュラーを勝ち取り、ザスパの目に留まり、プロ入りの道が開けた。

ザスパ加入後、開幕戦から途中出場でJリーグデビューを果たし、6節・愛媛戦でスタメン出場を掴んだが、その後、ひざのケガもあり、出場機会を失った。ケガから復帰後も、試合出場機会はつかめず、出場6試合に終わった1年目は、簡単に試合に出ることはできない、プロの厳しさを知ることになった。

大槻毅監督が就任したプロ2年目の2022年は、開幕スタメンを掴み、シーズンを通じて試合に出続けた。周囲には、渡辺広大、畑尾大翔、岩上祐三など、経験豊かな先輩たちがいて、彼らと共に過ごした日々が、さらに城和を大きく成長させることになったシーズンだ。

一転、2023年は、メンバー入りこそすれど、レギュラーを奪われ、リーグ前半戦は試合に出る事ができなかった。それでも、前年に先輩たちから学んだことを活かし、試合に出られなくても、チームのためにできることは何か、そして、今、この状況だからできることは何かを考え、愚直に取り組んだ。その結果、常にチームを鼓舞し続ける、リーダーとしての資質が備わり、選手としては、筋力トレーニングに取り組んだことにより、パンプアップに成功し、弱点でもあった、当たり負けしない、フィジカルの強さを手に入れる事ができた。

備えあれば、憂いなし。とは正にこのことで、23節・徳島戦の後半から、味方選手の負傷交代で出場機会を掴むと、一気にレギュラーの座を奪い、そのままシーズンを駆け抜け、ザスパ最高位となるシーズンに貢献した。だが、城和は、「前半戦は出ていなかったから」と満足することなく、今シーズンへのさらなる飛躍を持ってシーズンに入っていた。

そして、今シーズン、自分を拾ってくれたザスパのためにという思いで、キャプテンを引き受け、昨シーズンを越える戦いに挑んでくれたが、思うような結果に導くことができなかった。キャプテンとして、どう立ち振る舞うべきか、どんな声をかければいいのか、日々、悩み葛藤した。かつての仲間に電話をして、キャプテンとはどうあるべきか、悩みをぶつけることもあった。そこで至った答えは、言葉以上に、まずは自らがプレーでチームを引っ張るというものだった。相手FW選手と戦い、最後方から仲間を鼓舞し続ける姿は、試合を重ねるごとに逞しいものとなり、かつてのザスパのリーダーたち同様、欠かせない存在となっていったのだ。

「フィジカル面や対人面での成長も期待しつつ、ビルドアップはJ1でも十分にやれる。」

これが城和隼颯の市場評価だ。プロの道が開けるかどうかもわからなかった彼は、3年半という時間でそうした評価を勝ち取り、新たな場所に歩み始めることになった。

何度も言うが、タイミングはとても難しいものだったし、どう言ったとしても、心情的な部分も含め、受け入れることはできない人も少なくないだろう。それは仕方がないし、一方で、それだけ彼が大きな存在だったという事の表れにもなるだろう。

仲間から送られたという「自分が決断した道を正解にしてこい」という言葉。ここからは厳しい視線にさらされながら、それを証明するよりタフな戦いが始まることになる。だが、ザスパで育ち、自らの価値をしっかりと高めてきた城和隼颯なら、今回も、そうした困難を乗り越え、必ずや自らの道が正しかったことを証明してくれるはずだ。

「自分が活躍することで、ザスパというクラブの価値を証明したい。それが恩返しにもなると思う。」彼はそうもいってくれた。

示してくれ、証明してくれ。J2山形なんかで終わらないでくれ。もっと、もっと高い所に羽ばたいてくれ。我々も、このままでは終わらないから。今は、一時の別れだと信じている。ケガなく、さらに逞しく成長した姿で、我々を驚かせてくれ。そして、また今度は、より高いステージでともに戦おう。我々も負けないから。

ありがとう、城和隼颯。3年半の素晴らしい時間を本当にありがとう。

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