SASAnote vol.9 みんなをひとつに、笑顔と団結を取り戻した3年間~ザスパクサツ群馬・奈良知彦社長

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12月23日、ザスパの奈良知彦社長が退任を表明した。

3年間を振り返り、「私自身は力がないから。」と謙遜しつつも、「ザスパをみんなで育てようよという気持ちになってもらえた事は私としてはやったかな。」と胸を張った。

「乾坤一擲(けんこんいってき)」-天に運を任せ、大勝負に出た奈良社長の3年間は、単にJ2復帰を果たしたことにとどまらず、バラバラになったザスパを、群馬のサッカーを、今一度、ひとつにまとめ、その仲間と共に大勝負に打ち勝った3年間だった。

就任当時、ザスパはまさにどん底にいた。2017年にJ2最下位となり、J3降格が決定。チームの成績低迷もさることながら、クラブとチームが、県民、ファン、サポーターと意思統一が図れず、疑念、不信、対立が広がり、大きな溝が生まれてしまった。

当時の社長、GM、監督が退任し、新生ザスパを目指す時、新社長として白羽の矢が立った。

高校サッカー・前橋商業の名将として名を馳せ、勇退後も、教育現場で活躍したが、ビジネス現場は未経験。それでも、愛する群馬のサッカー界を思い、2018年2月にザスパの社長を引き受けた。

1年でのJ2復帰はならなかったが、2年目でJ2復帰を果たした。クラブ経営でも厳しい状況は続いたが、立て直しに向け、県内の経営者に声を掛け、今後への道筋をつける事に尽力した。3年間を振り返り、「長い生涯の中でも非常に濃かった。」と振り返った。奈良社長は、濃密な3年間で、もう一度、ザスパを戦える状態へと戻してくれた。

ただ、奈良社長にとっては、ザスパがJ2に戻れたこと以上に、「一番大事なことは、サッカーを通じてみんな、仲良くなろうよという事だった。」と、みんなの気持ちをひとつにできたことを喜んだ。

社長就任時、奈良社長は3つのテーマを掲げた。ひとつは「J2復帰」、そして、あとふたつは「笑顔」、「団結」だった。

奈良社長は、思い出深い試合を3試合上げる。「去年の最終戦の一体感、今年のホーム最終戦、そして、京都での最終戦。スタジアムに来ても、来なくても、みんなと気持ちをひとつになってものを作り上げていこう、目標を達成しようというのができたことに一番達成感がある。」と振り返った。

どの試合にもチーム、サポーターの団結があり、勝利を目指して必死になって戦った。そして、90分を戦い抜いた後に、スタジアムにいた者も、いなかった者も、ザスパに関わる皆が心の底から笑顔になれた試合だった。そうした光景を取り戻すことができたことに奈良社長は喜んでいるのだ。

そして、就任時に掲げた3つのテーマをクリアし、ひとつの道筋をつけ、退任する奈良社長の思いは、後任となるD&M(ディー・エム)の森統則(もり・むねのり)新社長に託される。

森新社長は、数々の企業で経営再建に取り組むなど手腕を発揮し、サッカーに関わるビジネスも携わってきた。早稲田大学時代には、サッカー部で、奥野僚右監督の2年先輩、CBとしてコンビを組んだ仲だ。経営実績もあり、サッカー愛もあり、そして、ザスパを通じて群馬に貢献しようという思いもある新社長は、奈良社長の思いを受け継ぐのに適任だ。

とは言え、これだけザスパのために尽くしてくれた奈良社長との別れは悲しい。

今後について奈良社長は、「ザスパを何らかの形で応援できればと思う。役が終わったから『もういいんだよ』とは私の性格上ならない。ザスパの発展に、できるだけ応援をさせてもらえたらと思う。とはいえ、私も66歳、多少、家内とゆっくりした時間も過ごしたい。隠居したくないような、したいような、、、両方ですね(笑)」と、奈良さんらしく、ユーモアを交えて今後の応援を誓ってくれた。

奈良社長とともに歩んだ3年間で、ザスパはJ2で戦っていく土台、礎を作る事ができた。森新社長は、「その礎にしっかりと社を築きたい。」と語ったように、J2に定着する、その先を目指す作業はここからが大事になる。その作業は、チームだけでもできない、クラブだけでもできない、サポーターだけでもできない、奈良社長が願った団結なくして築けはしない。

大きな夢も抱きつつ、現実に向き合い、一体となって強く、魅力的なザスパを作っていこう。それこそがザスパのために尽力してくれた奈良社長への恩返しだ。

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