群馬グリーンウイングスは、先日行われたVリーグの理事会におき、SVライセンスが認められ、この秋から始まるSVリーグ参入を決めた。悲願であったトップリーグでの戦いが、いよいよスタートする。
長く9人制バレーボールの名門チームとして活躍し、2015年に6人制チームに移行、2015/16シーズンからトップリーグ入りを目指してきた。トップリーグに向け、ひとつひとつ歩んできたグリーンウイングスの戦いは、当時の多くの選手たちによって作られ、紡がれてきた歴史でもある。
今回は、数回にわたり、グリーンウイングスの歴史を支えてきた方々に、当時を振り返ってもらうとともに、OG選手として今、そして、これからのグリーンウイングスにエールを送ってもらう。
3回目は、6人制移行後、初タイトルとなる、17-18シーズンのVチャレンジリーグ・Ⅱ優勝に、キャプテンとして、大きく貢献するなど活躍した「三好紗弥香」さんにお話を伺いました。
三好さんは、高校バレーの名門・大阪国際滝井を経て、富山大学に進学。グリーンウイングスが、Vリーグに参入した初年度にあたる、15-16シーズンに内定選手として加入しました。内定選手時代を含め、4シーズンプレーし、3シーズン目の17-18シーズンからはキャプテンとしてチームをまとめ、6人制移行後、初タイトルとなるVチャレンジリーグ・Ⅱ優勝に大きく貢献しました。
18-19シーズをもってチームを離れた三好さんは、ご結婚され、山形に移住。現在は、教員として働きながら、バレーボールの指導者として、地元の高校生や小中学生の指導にあたっています。また、自身も、旦那様が立ち上げたクラブチームでバレーボールを楽しむなど、ご自身曰く、「仕事以外は、趣味の釣りか、バレーを怖いぐらいしています(笑)」と、充実の日々を過ごしています。
そんな三好さんに、グリーンウイングス加入の経緯や当時の様子、そして、グリーンウイングスへの思いなど伺いました。
話を聞くと、三好さんが、グリーンウイングスに加入したのは、ちょっとした運命的なものを感じずにはいられない。
高校時代に熱心にバレーボールに取り組んだものの、将来について、教員や指導者としての思いを強く抱いていた三好さんは、「そもそもバレーが強い大学ではないんです。」という富山大学に進学。競技よりも、自分の夢に向けた取り組みに励もうとしていたそうだ。
ただ、根っからのバレー好きもあってか、大学でも、バレーの楽しさをより感じ、「教員になるのはいつでもできる。もっとバレーボールの世界を知りたい。」という思いを強くしたという。
とは言え、強豪大学ではなく、Vリーグチームとのつてもなく、その先の選択に思案していた所、たまたま、当時のグリーンウイングスの監督である、石原昭久監督の連絡先を紹介してもらったことで運命が大きく動き出す。
三好さんにとって、石原さんは特別な指導者だ。三好さんは、当時、石原監督が率いていた、武富士バンブーの試合を観戦。その試合は、廃部が決まっていた武富士のラストマッチで、無くなるチームに涙する武富士の選手、そして、指揮を執る石原監督の姿が印象強く残っていたからだ。
「正直、グリーンウイングスの事もよくわかっていなかったけど、石原さんに直接電話をして、『練習参加させてください!』とお願いしたんです。」と、何かに突き動かされたように、積極的なアプローチを試み、結果は合格。グリーンウイングスの選手としての戦いがスタートした。
当時は、まだまだ9人制からの移行選手が多く、6人制の経験がある選手は少なかったものの、強豪校の選手ではない三好さんをなぜ石原監督は獲得したのか。三好さんは、「経験値」だったのではと振り返る。
「大学は強豪校ではなかったですが、高校時代を過ごした大阪国際滝井高校は、岡山シーガルズとの関りが強く、練習や試合のお手伝いなど、Vリーグを間近で経験させてもらいました。加入してまもなく、なかなか思うようにいかない時に、石原さんが、『君には、他の選手たちにはない経験値がある。そういう部分を自信に持って、堂々とプレーしなさい。そこを強みにして頑張って欲しい。』と声をかけてくれました。このチームに、私が学んだVリーグの経験値を還元して欲しいんだ、それは私にしかできない事なんだと思い、ちょっと自信を持てるようになって頑張ったんです。」
その言葉通り、岡山シーガルズを見て、感じていた、Vリーグの選手がどんな立ち振る舞いをしているのか、バレーボールで給料をもらうというのはどういうことなのか、そして、トップアスリートとしての立ち振る舞いとはどういうものなのか、そうした事を、プレーや言葉で仲間に伝えながら、皆で成長していったという。
そんな三好さんの経験値が如何なく発揮されたのが、キャプテンに就任した17-18シーズンだ。
チームとしては、Vリーグ3シーズン目を迎えたが、まだまだ9人制からの移行期、一方で、これまでチームが培ってきたことも大切にしなければいけないが、6人制のVリーグチームとしてやらなければいけない、進まなければいけない、優勝して、上に進まなければいけないという思い。そして、年代も、個性も様々な選手たちをいかにまとめ、同じベクトルに向けるかという事に苦労したという。
そんな中、チームをまとめるにあたって意識したのは、「とにかく喋る事、喋らなければ伝わらない」という事だったそうだ。
「年の差もある、経験も様々、バレーに対するプライドもそれぞれにあるし、個性も豊か。そんな選手たちをまとめることは、言葉にできない難しさがありました。そうした皆をひとつにするために、良い所、不満、要望など、とにかく思うだけじゃなくて、話そうよ!という事を意識しました。話すことが、得意な人も、不得意な人もいて、苦しんだ人もいたと思うけど、みんな理解してくれて、頑張ってくれたと思います。」
その甲斐もあり、チームは開幕当初から強さを見せ、6人制移行後、初タイトルとなる、Vチャレンジリーグ・Ⅱのタイトル獲得に成功した。
翌年は、「石原さんが、私が、指導者を目指していることを覚えていて、考えてくださったから」と振り返るように、キャプテンで、選手でありながらも、相手のリサーチや分析、それに基づく対策や練習メニュー作りなど、より監督サイド、指導サイドに立った役割を担うことになったという。
「気楽にあと2年くらいやりたかった気もするけど、でも、当時は、やり切りました。」と胸を張って、グリーンウイングスで過ごした時間を振り返った。
そんなグリーンウイングスでの時間は、もちろん、指導者となった今に活かされている。
「高校生をはじめ、子どもたちに教えている時に、グリーンウイングスの時間で、指導者として成長したし、人として成長することができた。キャプテンを務めたこと、バレーをすること、仕事をすることで得られた責任感は大きかった。今も、その時と同じ気持ちで子どもたちとバレーボールができています。」と話す。
当時は、まだまだ乏しかったVリーグの経験値を落とし込み、仲間と共にグリーンウイングスのベースを作り上げてきた三好さん。故に、今もなお、チームが、高いレベルで戦ってくれることが嬉しいという。
「引退した後も、V2で優勝したり、上位に居続けてくれて誇らしいです。メンバーが変わり、監督も変わって、私がいた頃とはいろいろ変わったけれど、財産が引き継がれ、DNAが繋がっている嬉しさがあります。」
チームは、この秋から始まるSVリーグ参入を果たし、悲願だったトップリーグでの戦いが始まり、三好さんも、OGとして、ますますの期待を寄せている。
「チーム全体としても監督が掲げる『全員バレー』を貫いて、結果をもぎ取ってもらいたい。スタイルの強さをバレーから感じているし、応援したい気持ちが強い。そして、あの時からの仲間もまだまだ頑張っている。シンさん(吉岡みなみ選手)、ワカナ(安福若菜選手)、それに、スタッフで頑張るマルちゃん(丸山佳穂コーチ)も。あと、角谷未波さんは、私が富山大にいた時に、KUROBEでプレーしていてお世話になった方なので、そんな選手が、グリーンウイングスにいるのもすごいと思っちゃいます。そんな選手たちは、やっぱり特別な思いで見てしまう。これからも頑張って欲しいし、勇気をもらっていて、私も頑張ろうと思っています。」
話を聞けば聞くほど、三好さんとグリーンウイングスの関係に、強い運命を感じずにはいられない。そして、そんな運命は、これから先も続いてくれそうだ。
グリーンウイングスを離れる時に開かれた送別会の事である。三好さんは、「次は指導者として、グリーンウイングスに選手を送れるように頑張ります!」と挨拶したという。
「その思いは変わらず、グリーンウイングスで活躍できる選手を育てたいと思うし、それを目標に頑張っています。教えるのは難しいですけど、強い選手を育てられるよう、自分も頑張らないと。」
選手としてVリーグチームのエッセンスを注ぎ込んでくれた三好さんが、今度は、SVリーグで勝つために、そして、リーグ優勝という大きな、大きな夢を叶えるために、指導者の立場からグリーンウイングスを支え続けてくれることが嬉しい限りだ。三好さんの指導を受け、思いを受け継ぐ選手が、グリーンウイングスのユニフォームを着て、チームを勝利へ、優勝へと導く姿を楽しみに待とうではないか。