SASAnote Green Wings OG Interview-episode2 柿沼杏奈さん

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群馬グリーンウイングスは、シーズン後半の大事な戦いを続けている。それとともに、来シーズンからはじまるSVリーグ入りに向け準備を進めている。クラブはプロクラブ化し、運営や経営に必要な要件をクリアし、去年秋には、SVリーグ入りの加入申請を済ませた。審査を経て、この春に行われる理事会で承認されれば、グリーンウイングスにとって悲願であるトップリーグ参入となる。

長く9人制バレーボールの名門チームとして活躍し、2015年に6人制チームに移行、2015/16シーズンからトップリーグ入りを目指してきた。トップリーグに向け、ひとつひとつ歩んできたグリーンウイングスの戦いは、当時の多くの選手たちによって作られ、紡がれてきた歴史でもある。

今回は、数回にわたり、グリーンウイングスの歴史を支えてきた方々に、当時を振り返ってもらうとともに、OG選手として今、そして、これからのグリーンウイングスにエールを送ってもらう。

2回目は、チームが6人制に移行し、初めてVリーグに挑んだ、2015/16シーズンから3シーズン、アウトサイドヒッターとして活躍した「柿沼杏奈」さんにお話を伺いました。

柿沼さんは、埼玉県加須市出身で、西邑楽高校を卒業後、高卒でグリーンウイングスに加入。当時は、6人制移行後の最初のルーキー選手として3選手が加入しましたが、高卒は柿沼さんだけで、チームで一番年下の立場でした。アタッカーとして大柄ではないものの、気持ちのこもったスパイク、安定感のあるレシーブでチームの主軸として活躍。チーム初期を力強く支えたひとりです。

現在は、地元に戻り、VORTEX加須というクラブチームで監督として、中学生女子の指導にあたっている柿沼さん。

「このクラブは、私が小学生の時にチームの監督をなさっていた方が設立したクラブなんです。私がグリーンウイングスをやめた時に、コーチを頼まれて、最初は、ちょっと見ているだけだったんですが、徐々に規模も大きくなって、4~5年前から監督として中学生の女子チームを見ています。」

聞けば、加須地区をはじめ、近隣にはあまりバレーボールチームがなく、地域のバレーボールを支える存在でもある。また、柿沼さんの指導力、そして、若手の女性指導者というのも人気で、遠く宇都宮からも通ってくる選手もいるという。

 

「私がグリーンウイングスでプレーしていたこともあって、今、教えている子たちもチームが勝ったりすると、『グリーンウイングス、スゴイ!』となるんです。チームの活躍は、教えている子どもたちにもプラスになっているんです。」と笑顔で教えてくれた。現在のチームの活躍も、柿沼さんのチームの盛り上げに一役買っている。

そんな今のグリーンウイングスの活躍も、柿沼さんたち、6人制移行の初期メンバーの頑張りが無ければなかったはずだ。

「グリーンウイングスに入ることになったのは、高校時代に、チームにお世話になっていたことが縁で、当時の監督である石原(昭久)さんから声をかけてもらったのがきっかけでした。また、将来の夢がちゃんとなくて、、、かと言って、Vリーガーへの憧れが強かったわけじゃないんですが、本気でやってきたバレーボールをもっとやりたい、強い所でやりたいという思いがあってチャレンジしてみようと思いました。」とグリーンウイングスへの加入の経緯を教えてくれた。

柿沼さん(左)は6人制最初のルーキー、一方、丸山佳穂コーチ(右)は9人制最後の新加入選手でした。

とは言え、本人も、チームも初めてのVリーグで、「不安はありました。」と振り返る。

「バレーの不安で言えば、どんな世界なのかな?という不安もあったし、石原監督が組み立てる練習が、今まで経験したことがなかったものばかりで、、、細かいことを求められ、体のどこを使ってとか、『何でこんな練習をするのか?』、『どうしてうるさく言うのか?』、その時は、それがわからなくて、ただただついていくことに必死でした。」と当時の思いを教えてくれた。

選手のほとんどが、それまで9人制でやっていた選手だった。6人制をやるのは高校以来という選手がほとんど。しかも、今度は、Vリーグだ。周りの事どころか、自分の事でも精一杯のはずで、ましてやルーキーの事まで気を回すことなど、できなくても仕方がない所だ。

「6人制を始めるために、石原さんが全てを取っ払って始めたので、9人制時代の人たちは変化に苦しんだと思います。でも、そんな中で、先輩たちは、年下の私に、とても親身になってくれました。」と振り返る。

特に熱心に、柿沼さんを支えてくれたのが、自身も9人制から6人制に移行し、初代キャプテンを務めた須﨑杏さんだ。

「キョン(須﨑)さんには、一番付き合ってもらったし、『いつでも話を聞くよ』という方で、たくさん話を聞いてもらいました。私が上手くいかない時は、キョンさんが最後まで一緒にいてくれて、トスを上げたり、サーブも打ってくれて、のめり込みすぎている時には、『休みな』と気遣ってくれたり、すごく気にかけてもらいました。」という。

一方で、「キョンさん自身も、すごく自主練習をしていて、体力を落とさないように気を付けていたし、背中で魅せる、チームを引っ張る姿がスゴイと思ったし、信頼していました。」と、気遣いだけでない、選手としても手を抜かない姿が、チーム移行期の難しい中で、チームをまとめる要因にもなっていたようだ。

「みんな、わからないままだけど、試合に向けて『勝ってやるぞ!』という気持ちで、ひとつにまとまっていました。私は、年齢が離れている人とバレーボールや生活をするのが初めてでしたが、そういう言葉に頼もしさを感じて、『大丈夫かも!』と思えたし、ひとつになっているなと感じられました。確かに、もがき苦しんでいたけど、光が見えて、進むべき道は見えていました。」と言葉に力がこもる。

初のVリーグチャレンジにも、そうした具合にチームはまとまりを見せたが、一方、柿沼さん自身は、試合が進むにつれ、苦しみの方が増していく。これまでは経験したことがなかった数字で示されるデータの中での対策、対応に苦しみ、プレッシャーを感じ、プレーにも影響が出始めるようになる。

「アタック決定率やサーブレシーブ成功率など、自分のプレーが数字で出る経験がなく、厳しい世界だと感じました。シーズンが後半になるにつれ、マークが変わったり、背が大きくなかった分、パワーで吹き飛ばせなかったり、自分の武器を見つけるのができず、、、特にスパイクの部分で悩みました。打ち方やフォームを変えたりもしたけど、訳が分からなくなって、でも試合は来るし、、、ゲームの中で、苦しい時はレフトに来るし、決めなくちゃいけないし、一番苦しかったです。『もう、トス来ないで!!』とも思ったこともありました。高校の時は『全部私の所に持って来い!』って思っていたのに、急に自信がなくなって、早く後ろに下がりたいと思ったり、、、プレッシャーがとてもあって、苦しみながらやっていました。」と当時の苦悩を教えてくれた。

チームで、仲間で支え合い、進んで行きながら、ただ、最後の勝負の所は、周りや仲間の力を借りながらも、自分自身で乗り越えなければならない。柿沼さんはもちろん、当時の選手たちは、初めての6人制、未知なるVリーグの世界をそうやって乗り越えてきた。

そんな柿沼さんには、グリーンウイングス時代の思い出の1本がある。

2016/17シーズンのV・チャレンジリーグⅡで、当時、強さを誇っていたトヨタ自動車ヴァルキューレとの一戦だ。

この年、無敗を続けていたトヨタ自動車をホームに迎えたグリーンウイングスは、2セットを連取。しかし、第3セットはデュースに持ち込まれる大接戦に。29-28で迎え、勝利へあと1点とする中、柿沼さんのスパイクが一度はブロックに阻まれたものの、再び、仲間がつなぎ、ライトから二段トスでレフトに上がった。しっかりとタイミングを合わせ、右腕を振り抜き、ボールを打ち抜くと、2枚のブロックの間を割り、相手のコートへ。勝負を決めるスパイクとなり、無敗の相手に黒星を付けた1本になった。

「試合前、絶対黒星を付けてやる!とにかく、このチームに勝つ!そんな思いで挑みました。怖さもあったけど、でも、最後の1本は、急に打てるようになって、怖さなく打てるようになった1本でした。」と振り返る。

自らに打ち勝った1本は、自身の努力と仲間の支え、そして、この日のホームゲームで届けられた大声援も、柿沼さんやグリーンウイングスの選手たちの背中を力強く押してくれた。

「ホームゲームは特別です。自分たちの味方があれだけいるというのはプレッシャーもあるけど、それ以上に、この方々に勝った姿を見せたいという思いが湧いてきて、不安を忘れるくらいでした。とてもありがたかったです。」とグリーンウイングスのホームゲームが持つ力を教えてくれた。

そして、そんなグリーンウイングスの良さがSVリーグに上がった時にも続いて欲しいと願っている。

「SVリーグに上がれたら本当にすごい事。グリーンウイングスには、周りのチームとは違う良さがあると思うんです。」と話す。

良さとは何かを訪ねると、「何というか、なかなかうまく言えないんですが、アットホーム感というか、私がいたころは、銀行の部署にもいたりしたので、同じ部署の方々が本当にいい人ばかりで、いつも、『頑張ってね!』とか、『調子はどう?』とか気にかけてくれて、試合も、勝っても、負けても、常に温かく迎えてくれました。もちろん、勝負だし、プロだから、勝つのも大事だけど、支えられている人たちへの恩返しの気持ちも忘れて欲しくない、愛されるチームになって欲しいです。」と現チームへの期待を寄せる。

現在は指導者として子供たちに向き合っており、なかなかホームゲームに駆けつけることはできないが、「ホームゲームにはめちゃくちゃ行きたい!今は、どんなかんじなのかな?あの雰囲気を味わいたいし、見る側になってみたいですね。」とホームゲームを懐かしみ、声を弾ませる。

いつの時代も、グリーンウイングスのホームゲームは特別だ。もちろん、これからも、特別であって欲しい。そのためには、試合の時だけでなく、日ごろから支え、応援してもらえるチームであり、愛される選手たちでなければならない。簡単でないことは百も承知だが、柿沼さんの話を聞き、当時がよみがえる中で、そんな思いが強くなる。

選手から指導者へ。目線は変わるが、思い出の詰まったグリーンウイングスへの思いは強いままだ。

「今のグリーンウイングスの活躍が誇らしいです。私なんか初期の選手なので、何も言えることはないけど。何もない様な状態から、今では優勝したり、争うような位置にいるのが凄いですよね。監督や選手が変わっても絶対的な強さがあるのは簡単じゃないですよ。指導者になってそう思うようになりました。ホント、どうしたらそうなれるのかな?」

移行期の難しい時期を仲間と応援してくれる皆さんと、そして、自らの強さで乗り越えてきた柿沼監督。その経験をぜひ、今の選手たちに注ぎ込み、強く、仲間のために、そして、愛される選手を育てて欲しい。そして、いつか、教え子が、グリーンウイングスの選手としてコートに立つ日を期待したい。

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