ザスパ群馬は、28日、草津町を拠点に活動するザスパ草津チャレンジャーズの木村直樹監督が、今シーズン限りをもって退任すると発表した。なお、後任には、西村孝允コーチが就任する。
ザスパの前身チームであるリエゾン草津時代から選手、指導者として、長く、原点・草津町を拠点に活躍してきた象徴ともいえる存在がついにザスパから離れることになる。
ザスパ草津チャレンジャーズ 木村直樹 監督退任のお知らせ(ザスパ群馬 公式サイト)
木村監督は、東京都出身で、いくつかのクラブチームを経て、1995年にリエゾン草津に加入し、1999年には選手兼任で監督にも就任した。その後、2002年のザスパ草津誕生とともに、自身も選手として残り、2シーズンプレーした。
現役引退後は、草津町を拠点に指導者として、若手の育成に力を注ぎ、ザスパがJ2参入を果たした2005年に誕生したザスパ草津チャレンジャーズでコーチに就任。チームのコンセプトでもあった、「ザスパの原点である草津温泉の旅館、ホテル、商店などで働きながらJリーガーを目指す」若者たちに寄り添いながら熱い指導を続けてきた。そして、2012年からは監督に就任し、名実ともに、草津におけるリーダーとして、若者たちの夢を後押ししてきた指導者だ。
当初は、木村監督の指導を受けた選手たちが、年に1~2名、トップ昇格を果たし、そのまま、プロ契約、Jリーグデビューを果たすなどしていたが、ここ最近は、練習参加こそあれ、トップ昇格を果たせずにいた。
これは木村監督の指導力よりも、体力のないクラブがチャレンジャーズまで十分な支援をすることができなくなってきた事、クラブと草津町の関係性の変化によるところが大きいと考える。
また、当時と比べ、近年は、各地に、地域リーグだけでなく、都道府県リーグにも、Jリーグ入りを標榜するクラブが増え、Jを目指そうという若者たちの選択肢が増え、選手が集まりにくくなったことや、そうしたリーグのクラブに在籍する選手たちのレベルも格段に上がったこともあり、チームとしても、関東リーグへの定着、そこからのステップアップができず、価値を上げる事にも苦しんでいた部分もあるだろう。
そんな状況下でも、木村監督は、選手たちの夢の実現のために奔走し、時間があればトップチームの練習に見学に行き、トップチームのサッカーを研究するとともに、チャレンジャーズでも実践、落とし込みを行い、いつトップに呼ばれても、すんなりと対応できるように取り組むなどしてきた。
そして、地元・草津町の皆さんにも応援してもらえるようボランティア活動や、お祭りなどの地域行事、熱の湯での「湯もみくん」など、地域活動にも積極的に取り組むなど、チャレンジャーズの活動を応援してもらうのはもちろん、ひいては、ザスパと草津町の関係を繋ぎ留め続ける部分においても、大きな役割を担ってくれたのではないかと感じる。
それだけに、木村監督の退任は、単に長く務めた指導者の退任という話にとどまらず、今後のチャレンジャーズの存在、さらに、ザスパと草津町との関りという部分でも、どうなっていくのかという大きなターニングポイントの様にも感じる。
一方、後任監督となる西村孝允コーチも、木村監督同様、リエゾン草津時代にGKとして活躍し、現役引退後も、草津町で、長く、チャレンジャーズを支えてきた方だ。そして、ここ最近は、GKコーチを中心に、指導面でもチームに参画し、木村監督を支えてきた方なだけに、意思を継いでくれるものと期待される。
ザスパ草津チャレンジャーズ 西村孝允 監督就任のお知らせ(ザスパ群馬 公式サイト)
現在のザスパにおいて、県リーグと言えども、チャレンジャーズを運営、維持していくことは簡単ではない。前述の様な、時代の変化も含め、当初の目的が果たせていないのであれば、軌道修正含め、明確な方針を打ち出していくことも避けては通れないのが現実だろう。それでも、草津町はザスパの原点だ。ザスパの都合を押し通す事を優先し、地元の皆さんはじめ、多くの皆さんの思いをないがしろにすることは許されない。クラブには、しっかりとリーダーシップをとってもらい、ザスパと町の関り、そして、新たな局面を迎えたザスパ草津チャレンジャーズが、今後、どのようなチームとして活動し、ザスパの中でどんな役割を果たすのか。そのビジョンを示し、我々、サポーターにも伝えてもらいたい。
そして、何よりも、木村監督、長年に渡り、ありがとうございました。